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気配

抱えきれない数のカタログを積んで、ほとんどの移動は車なのですが、たまに公共交通機関で移動すると驚く事があります。

車内のスマホ率です。

 

7~8割はスマホや携帯でメール、ゲーム、読書、音楽など、若い方もそうでない方も一点を見つめています。

 

車内で食事や着替えをする若者がいっとき話題になりましたが、今日も車内を見渡してみると・・いましたいました!

 

大きな荷物を隣に置いて足を投げ出してゲームに没頭する男の子、携帯の写真を見せ合ってきゃあきゃあ賑やかな女の子、これはもう普通の光景なのですね。

 

ここからがまた大変、公共機関に不慣れなおばさんは、改札まで行く途中上手く躱せず何人ものスマホ人にぶつかりそうになります。

 

そんな時、ふと気配という言葉が浮かびました。


 気配という言葉を調べてみると和語の「けわい」という語が元になっているとありました。

【気(け)】+【這(は)うの名詞形】

 

この「けわい」という語は何となく感じられる様子だけでなく、具体的に聴覚・嗅覚・触覚として感じた様子や、人の言葉や動作といった物腰から受ける人柄や品位、既に離れ離れになったもの(故郷や故人)の面影や名残や影響なども含んだそうです。

 

古来より日本人は、欧米に比べ気配を感じるのが上手だったのかも知れません。

日本の住宅は障子やふすまなどで緩やかに仕切られていました。

 

縁側は外と内をつなぐ役割を果たし、それらは、家族やお隣さん同士の気配を感じ合う形でもありました。

 

目に見えない気配を感じ合う事でコミュニケーションができ、和が保たれていたのではないだろうか、立ち入ってはいけない境界線も自然と感じられたのでは、と思うのです。

 

 

数十年の間に住宅では個室が当たり前になり、プライバシーを守るという言葉は毎日幾度も耳にする時代となりました。

 

足を投げ出し、周りの気配を感じていないだろうゲームに熱中の中学生君を眺めながら、おばさんはこんな事を考えました。

 

住居に携わる私ができること、それは自然に気配を感じ合える設えをつくることなのではないかと。


それは、家族お隣さんは勿論、自然とも調和することに繋がるのでは、と思うのです。

 

 

この子たちが親になる少し先の未来が明るいものでありますように!と願いながら、おばさんガンバリマス!!